「ミステリー小説ってなんで人が死ぬと思う?」





とある高層マンションの一室。家主である折原臨也はデスクの上で両手を組み、そこに顎を乗せて邪気の無い笑みを浮かべる。背後にある大きな窓からは新宿の街並みが一望でき、一見巨大なジオラマのようにもみえる。男がいつもその景色を見下ろして何を思うのかは想像に難くない。そしてその思いを憂うように空はどんよりと濁り、大粒の雨が窓を叩きつけていた。昨日降り出してから緩急をつけながらも決して止むことはなく、吹き荒れる風に翻弄され続けている。部屋の端で膝を抱えていたが顔を上げたのを見て意図的に笑みを深めた。





「最近じゃ日常ミステリっていう犯罪性の無いストーリーもあるみたいだけど、殆どミステリで殺人が起こるのは読者の関心を引きやすい題材だからだと思うんだよね。何か問題が起きて、その顛末を知りたいと思わせるだけの犯罪性を持ち合わせた結果が人殺し。単に作者がトリックを思いついたからってだけなら別に殺すまでしなくていいはずだし、空想で人を殺したいだけなら複雑なトリックを仕掛けるも必要もない。要は読者の気を引く要素としてインパクトがあればそれで十分だというわけだ」





――そして今回その要素は君にとって罪悪感という形でストーリーに縛られつけることになったけど。
昨日語った殺害動機を思い出したのかはきゅっと口を結ぶ。情けなく垂れた眉と泣きはらした後のい瞳が痛々しくて臨也は少し困ったふうに笑う。
すっかり濡れそぼった彼女をここに連れ帰ってからずっとこの調子だった。即行でバスルームに放りこんだ後は全て秘書の波江に任せきりだったが、新たに仕事を頼んでからはこの場に臨也との2人しかいない。何度も声を掛けたし、食事なども用意したが顔を上げたのは今が初めてでこの機を逃さないとばかりに言葉を繋げる。





「これがちゃんとしたミステリーなら犯人は、まあ、俺……ということになるのかな。じゃあ探偵役は誰だろうね。問題を解決するために努力する人がいなくちゃ一向に話が始まらないだろう? 今のところ登場人物は俺と君と、なます切りになった死体。あと波江も入れておこうか。犯人である俺は探偵の目を誤魔化すことに専念しなきゃいけないし、死人に口なし。波江に至っては興味すら湧いていないだろうね。最後に残されたのは≪読者≫の君。ミステリーの読み方としてこれは正しいといえるんじゃないかな。だけどすでに犯人は俺であり、動機も手段もはっきりしているからこの事件は解決ってことで幕を閉じるとしよう。逮捕はされずまま探偵のみ真実を知る結末っていうのもいまどき珍しい終わり方でもない」





デスクから立ち上がり一歩踏み出すと、は目に見えて大きく肩を震わせた。無言のままキッチンに入ると背後から安堵の念が伝わってくる。なにも怯えることはないと思いつつも、それが恐怖からくる震えではなくただ警戒しているだけだと理解していた。以前会ったときにから見た折原臨也がどのような人物か問うたが、その答えがこの反応なのだろう。はっきりとした答えは訊いていない。むしろあえて彼女の言葉を遮るようにして語りかけている自身に気が付いていた。もともとは強く主張する性質ではなく、状況に流され続けてきたような人物だ。それをこのような極地に追い込まずとも簡単に絡め取ることができたに違いない。わざわざ死体を用意してまでして彼女の心を縛りつけようとしたのは何が発端だったのかいつの間にか思い出せなくなっていた。コーヒーを注いだマグカップを両手に持って彼女の正面で立ち止まる。散々好き勝手話していたのに今度は黙って見下ろされているのがには居心地悪いようで少し身じろぎして、じっとこちらを見つめてくる。その姿がまるで巣穴にこもる小動物じみていて、どこか胸の奥がくすぐったいような感覚が生まれ心がざわつく。それまでずっと貼り付けていた笑みが知らぬうちに自然なものに変わって、はその変化に小さく首をひねった。またその仕草が臨也にこそばゆい思いを巡らせる。そのままの状態で両者とも微動だにせず、ふと勢いを増した雨音に引っ張られるように互いの思考を急激に加速していった。





「…………なにそれ」
「……折原さんのほうこそなんでしょうか」
「あー。コーヒー、入れたけど?」
「え、ああ。ではいただきます」





両手を伸ばす彼女に少し冷めたカップを手渡してから自分もその場の床に腰を下ろす。必要以上に広いオフィスの片隅で足先を突き合わせてコーヒーを飲むという、この場に波江がいれば奇異の目で見られることは確実な状況だった。それでもなぜかソファに移動しようという気が起こらない。硬い床より座り心地がいいのは明らかで、そもそも床に座るということ自体、臨也の生活環境では多くはなかった。に目を向けると、膝の上にカップを抱えて息を吹きかけている。真上より正面から見据える彼女は幾分大人びてみえたが、やはり実年齢とは程遠い容姿をしていた。思えば彼女の存在を最初に知ったのは新羅が持ち寄った保険証からだ。あの時は変なものを貰ってきたなと気にも留めなかったが、今となってはあれがなければこんなに早く彼女に辿りつくことはできなかっただろう。自分の有能な記憶力に感謝しつつも、初めて図書館でその姿を確認したときの高揚感と、先ほどから去来する不可解な感情が似て非なるものだと薄々自覚していた。しかしその違いがなんなのか考えるのも億劫になるほどこの空間が心地よくて臨也は口をついて出た言葉をそのまま吐き出す。





「もう落ち着いた?」
「はい」
「そう。ならよかった。俺は別にちゃんを傷つけたかったわけじゃないんだよ。それだけは分かっておいてほしい……なんていつもなら都合のいいこと言っちゃうけどね。本当は君をここに縛りつけておきたかっただけ。心に重い鎖を繋げて、遠くへ行けなくしてしまおうと思ったんだ。だからちゃんは俺を責める権利があるし、恨まれても仕方がないと思うんだけど、どうして君は何も言わないのかな」
「……」
「君は俺の事が嫌い?」





風に煽られた雨粒が大きな窓を激しく叩きつける。普段耳触りにしか思えなかった音が今は2人の間を取り持つ役目を果たしていた。臨也はじっとの言葉を待つ間、改めて女の姿を観察する。全体的に幼いと感じてしまうのはその容姿のせいだけではないように思う。少し伏せられた目は潤み、艶やかな黒髪と赤い唇のコントラストに目が惹かれた。他と比べたら特別愛らしいというわけではないのだが、どこか人の庇護欲を掻き立てさせるような何かがあり、これ以上彼女の傍に居るのは危険に感じた。――怪力馬鹿のシズちゃんじゃあるまいし、と思い直した直後すでに身の内側から深く傷つけていた自分に酷く歪んだ感情があることを認識する。その想いがあまりにも陳腐で幼稚なものであったがゆえに、臨也は自身が望むものが何であったのか分からなくなったまま意味を為さない思考を重ねた。そして今しがた自分が口にした言葉の真意に気付かないうちに、は重々しく口を開く。





「きらい……とまでは言いません。今のところ苦手、でしょうか」
「へえ。本人目の前にして意外とはっきり言うねえ」
「でもそれ以上に難儀な人だなと思います」
「それは俺と付き合う人間が不憫だってこと?」
「まあ。それもないわけではないですが、一番そう思っているのは折原さん自身でしょう」





諭すような物言いに思わず面喰ってしまい思考が止まる。物事を分かりきっているふうなのは気に入らないが、彼女がこの世界の読者なのだと思えば仕方がないと頷ける。なんにせよを喋らせたのは失敗だった。小説にはどんな書かれ方をされていたのか知る由もなく、自身の心の内も完全に見透かされていると思うと気分が悪い。しかしが物語に介入してから発生した思考や想いまで悟られているわけではないのでほっと息を吐く。この空間に溶け込んでから調子が乱されっぱなしなのはやはり彼女の影響なのだろうか。まるで月の持つ引力にひかれて、、、、いるようでうまく自身をコントロールできない。臨也はそんな自分の考えを嘲笑い、すっかり冷え切ったコーヒーを口に運ぶ。
ふと覗きこんだカップの中には反射したランプの灯りが黒い液体に丸くまるで満月のように浮かんでいた。














言葉はいらない(嘘)
20110604