「お前いい加減家に帰れよ」
「……はあ」
事務所のソファでカップ麺を啜っていると、トムさんが呆れたように声を掛けた。
が俺の家に転がり込んできてから一週間――俺はずっと家に帰れずにいた。自分の家に誰か他人が来るなんて想定していなかったから本当に必要最低限の物しか揃っていない。それどころか共同生活をするとかまず考えもつかなかった。ずっと萎縮しっぱなしのは勧めるままに座ったきり何も話さないし、俺としても自分の家なのにどうして居心地の悪い思いをしなくちゃならないのか訳が分からない。これも全て新羅のせいだ。あとで一発殴らせてもらわなきゃ割に合わない。
「とりあえず生活費はこのカード使え」
「え? あ、はい」
「俺はしばらく事務所のほうに泊まるから鍵も持ってていい」
「でも平和島さんの分がないと色々不便なんじゃ……」
「1つしかねえんだ。お前が持ってろ」
ローテーブルの上に銀行のカードと部屋の鍵を並べて置くと、は「お預かりします……」とそっとそれを引き寄せる。それを確認してから着替えとか必要な物だけもって部屋を出ると、玄関まで見送りに来るはまだ少し不安そうで現状から逃げようとしてる自分に罪悪感を覚えた。でもだからといってこのままここにいるのも精神的にしんどい。ドアノブに手を掛けたところで無言のに向き直る。
「それから俺のことは静雄でいい。苗字で呼ばれんのはなんか変な感じだ」
まさか俺が出掛け際にそんなこというとは思ってもみなかったのか大きな目をぱちりとさせて納得したように小さく頷く。
「じゃあ――静雄さん、でいいですか」
「それでいい」
「はい。それでは静雄さん。いってらっしゃい」
ふんわりと笑うの表情に思わずどきりとする。に対して感じていた違和感は単に異世界からきたという特異性だけではないらしい。その原因も分からず、むしろ俺はそれから逃げるようにして外に出た。頭の中ではの声で《いってらっしゃい》という単語が何度も繰り返されて、誰かに見送られて家を出るというのはそんなに悪くないものかもしれないと一人考え込んだ。
「何があんだか知らねえけどよ。ここはてめえの部屋じゃねえんだぞ」
「すみません」
軽く頭を下げて事務所を後にすると途端に足取りが重くなる。家までそう離れていない道のりが少し恨めしくなって路地の壁を蹴ると、派手な音を立てて大きな穴が開いた。――そういえばは俺の力を知っているのか。まあ《知って》はいるんだろう。知っていて俺みたいな人間の傍にいようなんて奇特な奴もいるもんだ。たとえ自分の身を守る為とはいえ、物理的に自分の命が脅かされる危険性があるならそれだって避けるべきだ。今からだって遅くない。新羅たちを黙らせてあっちに住まわせたほうがお互いの為だ。
仕事が早く終わったせいでいつもは暗い住宅の窓から明かりが漏れている。ふと自分の部屋を見上げるとその窓からも明かりが漏れていて、なんだか自分の部屋じゃないような気がした。あそこにはあの女がいる。そう思うとますます気が重くなった。
一週間ぶりに玄関を開くと奥から慌てたようにばたばたと音がして、満面の笑みをしたが顔を出した。
「静雄さん! お帰りなさい。よかったちょうど夕ご飯の支度が終わったところなんです。あ、お風呂の用意もすぐにできますがどうしますか」
「……え。いや、じゃあ、飯」
「はい。それではすぐに用意しますね」
呆然としたまま部屋に入るといい香りが漂っていて、さっきカップ麺を食べたばかりのはずがまた腹が減ってきたような気がした。ほとんど使ったことのない台所ではが忙しなく動き回り、フライパンを動かしている。気になって覗き込んでみればそこにはオムハヤシが二皿あった。出来立ての卵から湯気が立ち上り、見るからにうまそうにできている。それに先程の香りはデミグラスソースだったらしい。は冷蔵庫から見たことのないボールを取り出し、中からマカロニサラダをまた見たことのない器に盛った。
「今テーブルに運びますから」
「いや、俺が持つ」
受け取った皿はやっぱりこの家にはなかったものだ。テーブルに出揃った料理はどれもうまそうだが、そういう意味でどうも落ち着かない。通帳で引き落とされていた額を見ていたが、そんな使い込まれた形跡もなかった。
「……いただきます」
「はい。召し上がれ」
スプーンを差し入れると卵がとろりと流れて中のご飯に絡まる。一くち口に入れると優しい味が広がって、外で食べるものの何倍も美味しく感じた。思わず夢中になって食べていると正面からの視線に気が付く。
「お口に合うでしょうか……」
「ん。んまい」
一言言ってやるとは顔を真っ赤にして照れくさそうに笑った。早々に食い終わり皿を差出しておかわりを要求すると少し驚いたようすで、また笑う。が笑うたびにその表情が直視できない。3つ目のオムライスを作る間だけ改めて彼女の姿を盗み見た。異世界から来た女はやはりどこか浮いているような印象があった。彼女自身の持つ空気とは裏腹に背景に馴染まないというか、彼女の身に縁取りが成されているようでどうにも目立つ。元の整った顔立ちは大人しい風貌なのにそのギャップが合間ってやはりこの世界の人間ではないと思わせられる。
しかしそんな台所に立つその様は少しの現実感を伴わせて、彼女がこの世界に定着しつつある場所にも見えた。どれもが異世界人だということを肯定してでの考えだが、もしこの部屋の中でだけがこの世界の人間として生きていけるなら、別にこのままでもいいかなんて考えて、俺は器のマカロニを口に運んだ。
夕餉の刻
20100209
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