置き去りにされた想いを牽いて沈黙を守る。
胡桃染アンビバレンス
武蔵野は野球よりサッカーのほうが人気らしく、女の子たちはこぞってサッカー部の話をしていた。 だけどそのうち1人の「そういえば野球部になんかかっこいい人いたよね」という一言から話は一気に野球部、というより元希の話になっていった。
「榛名君でしょ? 私はちょっと怖いと思うけどなあ。そういえばちゃんと仲良いよね」
「幼馴染なだけだよ」
「そうだったんだ。なんか野球部じゃちょっと違う感じするよね」
「その浮いてる感じがかっこいいんじゃん! 榛名君が投げてるところ見たことある? 超やばいよ。マジかっこよすぎて前田先輩から浮気しそうなんだけど」
「ゆう子ちゃんは浮気性すぎだよう。私は一生サッカー部本命だから」
「榛名君のほうが前田先輩より手が届きそうな感じしない?」
「あはは。それはあるかもお」
「クラス違うし分かんないけど、1年の中じゃ結構かっこいいほうだよね」
自分も女だけど、女の子の会話というのは随分と好き勝手なものだと思う。前田先輩というのはサッカー部で1、2を争う人気の先輩だ。実際の姿は遠巻きに見かけたぐらいでみんなのように練習を見に行ったり、少し見かけただけで黄色い声を上げるようなことはない。まあ確かにサッカー部というだけあって良い大腿部からふくらはぎのラインを持っていたことだけは覚えている。あと足首はなかなか好みの筋をしていた気がする。入学してから大体の運動部にスケッチをしに行ったが、やっぱり元希以上に描きたいと思えるモデルがいなかったから私の興味ではないことだけは確かだ。
「智恵莉ちゃんもそんなこと言ってたなあ」
「C組の堀田さん知ってる? 前に読モやったことあるとか言ってた子」
「ああ。なんかすごいふわふわした感じの子だよね。男子受けよさそうな」
「そうそう。あの子も榛名君気になってるらしいよ」
「うっそ意外に榛名君人気あるんだ」
「野球やってるときめちゃめちゃかっこよかったしね」
ぼうっと友人達の話を耳にしていると、心のどこかで羨ましいと思う自分がいた。素直に自分の感情を口に出来るのも、元希との関係に可能性が秘められているその立場も私には持っていないものばかりだ。きっとその堀田さんという子もそんな確立を十分に備えていて、元希のために今日も胸を焦がすひと時があったのかもしれない。
元希は私に《幼馴染》以上の感情を望んではいない。
そんなことは今までの付き合いからも明白で、私自身もそれ以上にはなれないと達観している。中学で元希が故障したあの時私は元希に何もしてあげられなかった。一番辛かったときにどんな言葉をかけたらいいか、何をしてあげれるのか無力な自分はただその背中を見つめるだけで、何の役にも立たなかった。
荒れていたころの元希は一度私の腕を左手で強く握ったことがあった。ある日、私は鬱蒼とする気持ちをスケッチブックにぶつけよう思ったその矢先に玄関先で元希と鉢合った。きっと元希の中で何かが気に障ったんだろう。すごい力で握られた利き腕はすぐに離されたけど、袖の下では内出血するほどだった。すごく痛くて声も出なくて、でもそれ以上に辛そうな元希の表情が脳裏に焼きついて離れない。落としたスケッチブックと黒鉛はバラバラにされて、それで元希の気が済むなら八つ当たりされても構わないぐらいの気持ちでいたんだ。
私は絵を描くのが好きで、元希は野球が大好きで、なのに元希だけその《大好き》ができなくて。目の前に自分ができないことを悠々とやろうとする人間が現れたらむかつくに決まってる。私はそんなことにも気づけなかった。私は結局元希のことを分かってやれてはなかった。
シニアに入ってしばらくした頃の試合に呼ばれるまで私は描くことをやめるぐらいのことしかできなくて、マウンドに立つ元希の姿を見て泣いた。元希は自分で上を目指せる《すごい人》だ。私のような人間には元希が眩しく見えて、同時に私の感情が迷惑極まりないものだと悟った。
元希にはもっと素敵な――宮下先輩のような女性が隣に立つのがいい。宮下先輩は強い人だ。もしあの俺様な元希がワガママをいうものならばきっと正してくれると思う。私はそんな人と元希のことを応援したい。私にできないことをできる人がいるなら、どうか元希を支えて欲しい――そう素直に思えたらどんなに楽だろう。私と元希はつり合わない。そんなこと分かってる。だけど誰にも取られたくない。ゆう子ちゃんのミーハーな想いにも、顔も知らない堀田さんの淡い想いにも、私の気持ちは誰にも負ける気はしないというのに。「ちゃんもかっこいいと思う?」とみんなの好奇な視線が集まる中、小さなため息を吐く。
「私は元希を《幼馴染》以上に思ったことはないよ」
その関係に甘んじていられるよう、言葉にして自分の心に蓋をした。
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20091208
12/21 加筆・修正
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