「……女か。女なんだな」
「いや、そういうんじゃないです」
「その歳でお袋ってことはないだろ。姉ちゃんか妹がいるなんて聞いたこともないし」
「まあ……そうなんですけど……」
「あーあー。ついに静雄に春到来かあ」
いつも事務所に手ぶらでくる静雄の手には小さな紙袋があった。
最初はただ純粋な疑問で中身を聞いただけのはずが、トムにとってはとんでもない地雷であった。あの平和島静雄が、昼飯に、弁当を持参してきたのだ――しかも明らかに誰かの手作りの。人より長く静雄との付き合いもあり、上司という立場から踏み込んでも大丈夫であろうボーダーラインは心得ている。トムは聞き出せる範囲を問い質そうとした。が、その返答はどうにも歯切れが悪く、でもだからといって苛立たせたどころか本気で悩んでいるらしい。
ますます只事ではないと確信したトムはとりあえずどういう子なのかだけでも聞くと、静雄はちらりと手に持っていた弁当を見つめて「……飯は上手いですよ」と取ってつけたような返答をした。それ以上何も言うことはないとばかりに「さて、行きましょうか」と紙袋を申し訳程度に設置されたロッカーの上に乗せる。そして事務所のドアを開けて取り立て先に向かう後ろ姿をトムは茫然とした気持ちで見つめていた。
「ありゃ、暗に≪見るな≫っていう意思表示かね」
静雄の長身でようやく届くロッカーの上に非難された紙袋を尻目に、トムも事務所を後にした。
♂♀
間違いなく今日の静雄は上機嫌だと思った。
原因が明白な上、今さら掘り返すのもどうかと思ったが昼飯前の腹ごなしと言わんばかりに標識を振り回す静雄が、本当に機嫌がいいのか悪いのかよく分からなくなっていた。確かに標識を振り回すようなことになったのは、キレたからでそれはいつもと変わらない。料金を踏み倒したまま逃げだそうとした男をブン投げたのも、わりと日常の範疇ではあるが――それにしても今日はやけに動作がデカくないか? トムは地面に撃墜した男を追いかけてようやく昼の内に回収する分が終了した。
「あんま遠くに投げるなよなあ」
「すみません」
一足先に到着していた静雄に毎度似たような声を掛けると、普段よりずっと殊勝な声が返ってきた。自身でも今日はやりすぎだと自覚しているのか、幾分か大人しくなっている。――なんなんだ、今日は。躁鬱とまではいわないにしても様子がおかしすぎる。そんなことを考えたトムは、ひとまずこのことを棚上げにして自身の腕時計に目をやった。
「まあ、今日は割と早く終わったし。そろそろ飯にするか」
「え。あ、はい。そうっすね」
トムの言葉に弾かれたように顔を上げた静雄は「トムさんはどうしますか」と聞きつつもすでに事務所の方向に歩き出していた。一瞬置いていかれるようにして駆け寄ったトムはそんな静雄に合点がいったように単純明快な答えを導き出していた。――こいつ、めちゃめちゃテンション上がってんじゃねえのか? 歩調もいくらか速いような気がしなくもないし、上機嫌なような、いつも通りのような、傍から見たら全然分からないハイテンションはずっとこの時を待っていたのだ。そうだと分かった途端に脱力して、まるで子供のようなはしゃぎようをどうたしなめたものか、次なる問題が浮上していた。
「そうだなあ。お前の弁当半分くれよ」
「それは無理ですね」
「いや冗談だから。そう睨むなって! はあ……途中マックでテイクアウトしていくかなあ」
「……なんか、すみません」
「別に謝ることじゃねえだろ」
謝られたほうが逆に惨めだと口に出してしまえば負けな気がしてトムはそれ以上は言えなかった。静雄は相変わらずだるそうな姿勢のままのくせに歩く速度は普段の倍だ。そのうちこいつ早弁するんじゃねえかと考えて、それが実際に現実になる未来が待ち受けていることは、このときはまだ誰も予想していなかった。
「弁当かあ……俺は中坊んときの遠足とかの時以来ねえ気がするわ」
「あー。俺もそれぐらいだと思います」
「ったく……なんだかんだで彼女できるもんだなあ」
「いや、だから彼女とかじゃないっすから」
このまま誤解され続けるのは妙に後ろめたい気がして静雄は必死に反論するが、あまり相手にされず結局たいした弁明も出来ないまま、この話は内密にするよう頼むのが精いっぱいだった。
楽観的観測の反応
20100330
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