一瞬で終わる夏の日差しに溶けてしまったようだ














牡丹色インシデント
















 知らない間に元希は惨敗していたらしい。夏の新人戦が終わったその日、ずるずるとダルそうに体を引きずって帰ってきたかと思えば突然人の部屋に押し入り「これ、やるわ」とメンズ系のファッション誌が入ったコンビニ袋を渡された。一体どういうつもりなのか、渡された雑誌と元希を見比べていると「フツーに買えんじゃん……」とまた訳の分からないことをつぶやきながら今度こそ自分の家に帰っていった。


翌日の登校日。そんなことがあったと秋丸君に相談してみれば「榛名の心境を代弁すると《丸裸にされたうえ、背後から伏兵に首を切り落とされた》って感じだろうね」と苦笑された。ますます分からない。昨日の元希と秋丸君の話ではまるで意味が繋がらず首をかしげていれば「大河先輩と宮下先輩ってさ」――そこまで言われてようやく分かった。別にこれは女の子の感とかそういう問題じゃなく、うすうす感づいていたものに基づいて出された結論だ。これに関してはもう触れてあげないのが1番の優しさなのだろうか。いつもなら昼休みになるとドアを壊さんばかりに全開にして登場する俺様が今日は一度も現れず、お互い顔を突き合わせて小さなため息を吐いた。しかしこうしていても仕方がないと重々しく席を立てば「後はちゃんに頼んだ」と背を押された。壁一枚向こうの教室にいるはずなのに陰気なオーラを感じてぶるりと身震いしてしまった。


私から元希を尋ねるのはあまりない。特にお互い用事はないし、あったとしても家に帰ってからすませばいいから普段元希がどんなクラスで過ごしているのかまるで知らなかった。ドアにそっと寄り添い中を覘くとB組の一部にデッドスポットがある。――元希の周辺だった。元希は机に伏せたまま剣呑な雰囲気を漂わせていて、教室内はほどよく騒がしいのにどうもよそよそしい。明らかに元希の放つ空気に脅えていた。本日何度目か分からないため息をつきながら元希の正面にある席に勝手ながら座る。正面じゃなくても机が全方向1つずつ防波堤のように遠ざけられているから中々このクラスの住人も息が合っているというかなんというか。








「今日部活は?」
「ある」








意外にも返事があった。少し声の主を探るように首を振ったがずっと伏せられたままで、声はどこかいじけているような感じがした。








「外で投球練習あるの?」
「……ん」








ふむふむとうなずいてから自身のポケットからあらかじめ用意しておいた黒マジックの存在を確認する。そして顔を埋めるように畳まれた両腕からあえて左手に触れようと手を伸ばした。元希の大事な左腕は私からすれば神器みたいなもので、慎重に指先で骨格をなぞるとそれまで大人しかった元希が勢いよく左手を引っ込めた。少しだけ見えた表情は暗くて、傷心に堪えているに眉間の皺が深かった。なかなかにブロークンハートらしい。また1つ小さなため息が出た。


さて私に一体何ができるんだろう。どんな言葉をかけたらいいのか、どうすればいいのか自分の心の整理もついてはいなかったのだ。元希が振られて嬉しい? そんなわけがない。元希が悲しいと私はもっと悲しい。元希が想いを寄せる涼音先輩が憎い? それもない。あんな素敵な人がいたら誰だって惹かれてしまうと思う。じゃあ元希と涼音先輩が付き合うことになったら? それも、――嫌だ。元希の幸せを誰よりも願っているはずなのにそれが自分の幸せに繋がらないなんて、自身の浅ましさが垣間見えて反吐が出る。私は元希に笑っていて欲しいんだ。笑って野球をしていてほしい。


引っ込めたことによって左手を大事そうに抱える元希から今度は右手に触れた。有無を言わさぬようしっかり手首を掴み、その手の甲に持参した黒マジックを滑らせる。グローブをはめてしまえばきっと分からなくなってしまうだろうと楽観的に考えてキュキュッと線を引く。ずっとされるがままにしていた右手が気にかかったのか顔だけ上げて「くすぐってえ」と肩を揺らした。締めの線を書き足して黒マジックにキャップを被せる。








「元希。ツーアウトってやってみ」
「……うさぎさん?」








人差し指と小指をぴんと立てると無骨な手の甲に少しふざけた顔がぐにゃりと伸びた。こうした遊びを含めて過去に何度か元希の手に落書きをしたことがあった。手の平にボールの網目を描いたり、指の腹に似顔絵を描いて武蔵野レギュラー陣ごっこをしたり色々だ。そして今回は少しでも元希の気が紛れるようにちょっと子供っぽい遊びを仕掛けてみる。


元希はしばらく目を丸くして指を曲げたり伸ばしたりしてそれを眺めていると、くしゃりと元希には珍しい――困ったような笑顔で「くっだらねえ」とつぶやいた。


その表情といったらもう。ただでさえ今でもうさぎをさん付けで呼ぶ子供っぽさとかきっと本心では楽しそうに遊んでいる指の動きで、体中に電撃が走ったような錯覚を覚えたというのに。窓から差し込む残暑の照り返しがきらきらと辺りを装飾して、さっきまでの剣呑とした空気が綺麗に洗い流されたみたいにさっぱりしている。


もう大丈夫。
私の黒マジックは元希を大輪の笑顔にするマジカルステッキなのだ。














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1020091228
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