ずっと夏が続けばいいと思った
錫色シンパシー
「私、榛名君のことが好きなの」
ミットに収まるボールの音がやけに響いて聞えた。
フェンスのずっと向こうで投球練習をする元希の姿をバックに突如として私の前に現れた美少女は私の顔を見るなりそう言い放った。日焼けのあともない艶やかな肌した彼女は意志の強い印象的な瞳を長い睫毛で縁取っている。――彼女が堀田さんだ。ずっと前に屋上で話していた元希のことが気になってるという噂の女の子。何度か廊下ですれ違ったことがあるだけでこうして声を聞くのは初めてだった。夏休み中盤を迎えた今日は登校日でもないし、補講もないはずだから一般生徒は滅多にグラウンドへは近づかない。そんな日でも夏の制服を着た彼女の視線は常に元希を捉えていた。「今度はナイピッチ!」という秋丸君の声に「もうはずさねえっつうの!」と元希の大声が聞える。遠くで行われる日常と今自分に降りかかっている非日常の板ばさみで私の頭は「あ。今の投球見逃した」とか「いや、そんなこと私じゃなくて本人に言うべきじゃね?」とか「ていうかあの噂は本当だったんだ」とか色んな思いが交錯する。
「だからさんに協力して欲しいんだ。だめ?」
可愛くしなを作ってお願いする姿はまさに女の子という感じで、私とこの子では構成してる成分があまりにも違いすぎた。この子はお砂糖でできている、きっとそうだと思った。ふと視界にジャグを抱えた涼音先輩の姿が入る。元希はあれから何でもないように部活に参加しているけど、まだどこか引きずっているようでここ数日コントロールが芳しくない。秋季大会の予選も控えているから早く本調子に戻りたいだろうに元希自身も少し苛立っている。投手を「我が強くて傷つきやすい」と言ったのは隆也だったか――その言葉が元希個人に対して向けたものなのか私は知らないけど、この子だったらその傷を癒せるのだろうか。
「協力って?」
「んー。榛名君って今好きな人いるのかな」
「今は……いないと思う」
「そうなんだ! じゃあ私の気持ちも、榛名君に伝えてもらってもいい?」
「…………わかった」
「えへへ。さん。ありがとう!」
元希は馬鹿だから、自分のことを好きだという女の子がいたらきっと気にしてしまうと思う。堀田さんの思惑がどのぐらいのものなのか私には分からないけど、もしかしたら元希から堀田さんに告白なんてしてしまう日がくるかもしれない。堀田さんはそれぐらい容姿が魅力的な子だと思う。性格までは付き合ってみないと分からないけど、本気で元希のことを想ってるのはその瞳から感じられた。
恋する乙女は強い。そう人事のように立ち去る彼女の後姿を見送ると、栗色のウェーブがかかった髪が二つ結いにされていて真っ白なうなじが見えた。今まで表に出ることのなかった肌が斜陽を眩しく照り返している。ふと自分の首に触れてみればジリジリした痛みとすっかり垂れ流れた日焼け止めの混じった汗を手の平に感じた。きっと見るも無残に赤くなって皮も剥けているんだろうなと思うと、なんて体育会系な美術部員だと苦笑が漏れる。触れていた手を改めて見てみると爪の間は入り込んだ黒鉛で真黒になっていて、指にも硬くなったタコがあり決して綺麗なんていえない。思い返せば堀田さんも涼音先輩も綺麗な指先をしていた。私はこんなにも自分自身のことを怠っていただろうか。せめて爪の中の黒鉛を少しでも落とそうと、もう片方の手で懸命に削り落としつづけた。
どのぐらいそうしていただろう。気づいたときには部活の練習メニューと自主練を終えた元希が着替えをすませて部室から出てくるところだった。いつの間にか他の部員は帰っていたようで、グラウンドには私と元希しかいない。戸締りをする様子をじっと見ていれば、クイッと首だけで呼びつけられる。今日はもう帰るらしい。あの件以来私たちは2人並んで帰るのが日課になった。別にどっちからか言い出したことではないけど、なんとなく元希は一人になりたがらないように私を呼びつける。どういうつもりなのか皆目検討はつかなかったけど、私を頼りにしてくれているようでそれだけで十分嬉しい。
「今日お前全然描いてなかっただろ」
「え……まあ、そうかも」
「は絵描くぐらいしか脳ねえんだから遊んでねえでしっかりやれよ」
「うわー元希にだけは言われたくなかったし」
「俺は真剣に取り組んでるっつうの」
「当たり前でしょー」
「はあ?」
「だって元希だし」
野球をマジメにやらない元希はもう元希じゃない。それぐらい元希を占める野球の割合は高い。「むしろ野球以外取り得がないのは元希のほうじゃん」と笑ってやれば「野球ができりゃそれでいいんだよ」とお互い顔を見合わせて笑った。もし元希が野球をしてなかったら……持ち前の顔でチャラ男になっていたような気がする。しかも女泣かせ系の。改めて元希が野球をやっていて本当に良かったと思う。それはそれで元希に惹かれる女の子は少なくはないのだけれど、野球のことで手一杯になっている間はまだ私の心も不安定なままどっちつかずでいられるようで安心しきっていた。
「あ。堀田さんって知ってる?」
「知らねえ」
「……C組のふわふわした感じの可愛い子」
「あー。なんとなく」
「元希のことが好きなんだって」
「はあ?」
先程と同じような反応をした元希は段々と眉間に皺が寄っていく。正直これには驚いた。今までの経験と予想ではまず驚いて、喜んで、自慢する。それがたとえ知らない子だったとしてもそれは等しく同じ反応をするはずだったのに何が気に入らなかったのか乱暴に私の腕を掴んだ。
「なんでお前がそんなこと言うんだよ」
「え」
堀田さんへの協力は失礼ながら一か八かの賭けみたいなものだった。元希に興味がないようであれば今までどおり、もしその気があったならそこで私の想いも終わりなんだ。元希に選んでもらえる日くることを願うだけの私は、堀田さんのようになれない。だから努力をしている彼女たちと元希の仲を少しでも取り持ちたいと思うのも、また本心だった。私が誰かと元希のことで協力したのはこれが初めてだ。元希は直接相手の女の子からその言葉を聞きたかったのかもしれなくて「ごめん」と遅れて謝れば、その日はもう一言も話さす帰路に着いた。しばらくそんな日が続いたある日。ついに告白した堀田さんは元希にあっけなく振られたらしい。そのことを元希は何も言わなかった。以前だったら機嫌良く私の部屋へ報告に来たのに今はもうそれがない。
自分自身も失恋して、少し成長したのかもしれない。
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20100111
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