この気持ちはアウトか。セーフか。
萱草色メタフィジカル
最初は詐欺とかいうから腹が立った。自販機で買った牛乳を片手に教室へ戻るといつの間にか帰ってきていたがいて、しかもどういう話の流れか俺の名前が出てきたと思えば辟易した様子でそんな風にいうからよく分かんないけどむかついた。それとのくせに俺の知らねえ奴から告白されてるとか生意気すぎでむかつく。普段誰を描いてても別にどうも思わないけど野球以外を描いてたのが、なんかむかつく。ただそのあとに言われた言葉が妙にしっくりきて、自分が何に腹を立ててたのかよく分からなくなった。
雨が降り出してグラウンドが使えなくなった野球部は放課後にトレーニング室で自主トレとなった。過去にも何度もこうしたプランニングに変更になったけど、そういう日はほとんどの部員がサボったり、適当なトレーニングだけしてさっさと帰っていく。最後まで残ってるのは俺だけで、自分で組んだメニューが終わる頃には雨も本降りになっていった。(傘ねえじゃん……)登校するときは降ってなかったからすっかり忘れてた。今から昇降口に行ってもパクれるような傘なんて残ってない気がする。この前が梅雨に入りそうだから折畳みぐらい持ち歩けとかなんとか言ってたのを思い出して、素直に言うこと聞いとけば良かったと少し後悔した。
「ていうかがいんじゃん」
こういうときの幼馴染だろ。雨の日は部活に顔を出さないはいつも何してるのか訊いたら室内で活動する運動部をスケッチしてると言っていた。大体のあたりをつけて道場を出入り口から覗いてみればビンゴ。壁沿いの隅で柔道部を見つめるがいた。が絵を描いてる姿を見るのは初めてじゃない。ただいつもその姿を正面から見ることが多いから、俺以外の何かに向かっているところを見るのは久しぶりだった。
じっと柔道の試合を見るの瞳はまっすぐで熱心だ。あの茶を帯びた黒い瞳に写るものは全てあのスケッチブックに描き込まれていく――たぶんコレがバカな野郎どもを勘違いさせてる原因なんだと思う。絵を描いているときのは、なんか悪くないと思う。真剣にスケッチブックに向き合う真摯な顔とか、目にかかる長い髪を耳に掛ける白くて細い指が黒鉛で黒く染まっていく色のコントラストとか。勘違いできる要素は、いくらでもある。まあ考えてることは筋肉が云々体の線が云々ってまた変態くさいことなんだろうけど。ふいに試合をしていたガタイのいい部員との目が合ったような気がした。のほうは少し頭を下げたのに、部員はさっと顔を逸らした。(あのヤロウ……)間違いない。あいつもに騙されてやがる。当のといえばそんなことお構いなしにまたじっと部員を見つめていて、その見つめる時間が妙に長く感じたのは俺がまたそのを見ていたせいか。お前また被害者作ってんじゃねえよバカが。
なんだか無性にイライラしてきて道場に背を向けた。道場から校舎へ直接繋ぐ通路は外に面していて、そこから吹き込む雨が少し体にかかる。そういえば傘を借りに来たんだった。でもなぜかと顔を合わせづらくて、声をかけられない。こんなことは初めてだった。小さく舌打ちをすると、ますます雨脚が強くなったような気がした。……いいや、奇跡を信じて傘置きに残ってる傘を探そう。そう思い校舎に向かって歩き出した時、背後から聞き慣れた声がした。だ。今はなんか会いたくない。そう思ってたはずなのに呼んでくれた声が変に嬉しくて――嬉しくて? なんで相手にそんな風に思ってんだよ。
「こんなところで何してるの」
「傘忘れた」
「自業自得。私の傘に入れてあげるから一緒に帰ろ」
「よっしゃ」
そうだよ。傘が必要なんだよ。今日は早く帰って風呂入って寝よう。なのに後ろからちんたら歩いてる朝嘉がなかなかついてこないから「遅せえんだよお前は」と腕を引けば、ようやく肩が並んだ。予想以上に細くて、一瞬こいつはこんなに小さかったのかとびっくりした。
小さい奴は使ってる傘も小さいのか。お互いがぎゅうぎゅうに入ってもどうしても肩やら鞄は濡れるし、が傘を持てば必要以上に水滴に濡れてまどろっこしい。「お前が持つと低いんだよ」あまり意識していなかったときには咄嗟に利き手が出るものだ。左手で傘を奪えば何か言いたげに見上げてきた。こいつが必要以上に俺の左腕を気にかけてくるのは今に始まったことじゃないけど、傘ぐらいでどうこうなるほどひ弱じゃない。バッカじゃねえの。でもそれがそんなに嫌じゃないと思ってる自分は素直じゃないと自覚してるからぜってぇ言わない。これはきっとにはバレてないと思う。
は自分が濡れてもスケッチブックが守れればそれでいいと言う。――お前はそういう奴だよな。自分が大事に思ってるものは断固として守る。そういうところは共感するし、俺も似たようなところがあるから結構似た物同士なのかもしれない。ただ今日はなんか嫌だと思う。大事にしてるスケッチブックがすごくむかつく。やってることはいつもの同じなのに何が違うのか自分でも分からない。
「誰書いてたんだよ」
「柔道部の人。たぶん主将なんじゃないかな。よく耳が腫れていて思わず描き込んじゃうよね」
「……は昔っから怪我してる奴とか書くの好きだったよな」
「別に怪我が好きなわけじゃないってば。努力している証?っていうのかな。そういうのが視覚的に見えるところを残しておきたいと思うから、すきなの」
思わず足が止まった。別にいつもと変わんない普通の会話をしただけなのに。ただの言葉の何かに引っかかって動けない。なんだ。なんだ。なんだ。自分が何に反応したのか自分でも分からない。今日は分からないことが多すぎる。俺を名前を呼び続けるの瞳を見つめる。――こいつか。こいつがおかしいんだ。のデカい瞳には眉を潜める俺と、空一面の灰色、そして雨。そういえば雨が降った日は変に違和感があった。雨が俺を変な気分にさせてたんだな。
「元――」
「早く止まねえかな」
そうと分かれば今日はさっさと帰って寝るに限る。歩き出せば一拍遅れてがついてきた。少しだけ雨に晒された鞄が雨に濡れて、中のスケッチブックが湿気でよれているのが見えた。(ざまあみろ)ふいにずっと前にがくれたパラパラマンガみたいなスケッチブックが無性に見たくなった。
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20091223
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